面白い話

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/913243.html


 あ〜、こういうの、面白いなぁ。
 グリム童話を筆頭として、昔話ってのは大概、残酷なものですが、割りと平然とその結末を受け入れてるもんです。


 このお話で言えば、確かに子豚は過剰防衛なのかもしれません。十分に殺傷能力のある罠を事前に用意していたわけですからね。
 ただ、それってどうなのさ?とも思います。
 だって、レンガの家に住む子豚が、兄弟が狼に襲われる(私の記憶では食い殺されたという記述がない。子供向けだから、避けたんだと思う)情景を見ていて、その事に強い恐怖を覚えたのは間違いありません。
 子豚がレンガの家に閉じこもる事は必然です。その結果として狼は煙突から侵入を図るわけなのですが……それを想像する事は可能だったでしょうか? 狼が煙突から入ってくる光景を、誰が想像できるでしょう? 私達だって、近所で殺人事件があって、その犯人が玄関先に立っているのを見たとき、当然の事ながら玄関の戸を厳重にロックして閉じこもる事でしょう。ですが、その時に、二階の窓が開いているかどうかを考える余裕は、きっとありません。かなり錯乱しているでしょうからね。マンションなどでは高層階の方が戸締りが緩いという話もあります。殺人者がわざわざ壁をよじ登ってまで侵入してくると……狼が煙突から侵入すると予測できたかどうかについては、むしろ否定的であるべきでしょう。更に、鍋に蓋をした事も、熱湯を浴びて暴れる狼に恐怖を覚え咄嗟に防戦したと考えられます。(鍋の大きさはそもそも問題じゃない。誰がどんな大きさの鍋を使おうが勝手なのだから。ただし、兄弟が狼に襲われるのを見てから購入したのだとしたら問題有り)
 裁判官が「実際なら10年から15年のケース」としたのは、明らかに不当です。状況だけ見るならば、間違いなく正当防衛。計画性を立証できるだけの確固たる証拠は、少なくともありません。ってか、これってたとえ子豚に悪意があったとしても、計画のしようがない(狼が必ずしも襲ってくると決まっていない)わけだから、むしろ未必の故意なのでは?
いや、けどそう考えるのなら、他者の居ない完結したこの世界の中では、次に自分が襲われる確信があったわけだし、ありえないか。兄弟が襲われた事によって、むしろ彼が「次は自分である」と落ち着いて状況認識する余裕が出来たわけで、レンガの家の出入り口を全て塞ぐ事で、狼を煙突へと誘導する事は不可能ではなかったはず。一時的な防衛策ではなく、将来的に考えて狼を排除しようという発想はある意味で必然なわけで、そのために意図的に煙突を開けておいたとは考えられるのかな?
 いやいや、でも待った。そもそも、子豚は何で湯を沸かしたんだ? もちろん、そんなのは薪に決まっているわけで、湯を沸かすという事は薪に火をつけていたわけで、その時には、煙がもうもうと上がっていたはず。煙の上がっている煙突に、果たして誰が飛び込むでしょうか? 煙突から煙が出ていれば誰だってその下に火がある事はわかるわけで、そんな所にわざわざ飛び込むのは自殺行為です。子豚はむしろ、それを理解して利用していたのではないでしょうか? つまり、鍋の湯を沸かす事で、塞ぐ事の難しいそこが侵入不可能であると示していたのでは……そう考えると、狼がそこから侵入してきた事はまったくの予想外。大きな鍋に湯を張っていた事も不自然ではなく、あまりにも非常識な事態に驚いて突発的に鍋で格闘してしまったのも、決しておかしくはありません。


 ん〜、煙突の意味について気づいてしまった時点で、結果が出ちゃった気がしないでもないなぁ。
 だって、どう考えたって、鍋を煮立たせている上の煙突に飛び込むってのは非常識だし。流石にこの論理の否定は、私の知りうる情報だけでは不可能です。煙突から煙が出ないようにするにしたって、レンガの家じゃ難しいですし(藁やら木ならともかくとして)。煙の出ない燃料を使っていたにしても、最低限、熱気は絶対に感じるわけで。
 子豚が計画的にこの事件を引き起こす事は非常に困難であったと考えられます。もちろん、子豚に絶対、殺意がなかったかと問われればそれはまた難しい問題で、やはり情報不足なわけですが。


 というわけで、ちょっと色々考えてみました。
 どうでしょう? 私の回答は。
 たぶん、否定できる論理はないと思うのですが……。
 ただ、それは別に「真実はいつも一つ!」ってわけじゃなくて、色んな考え方があるってわけで。
狼に徹底的に感情移入するなら、実は、全ての論理が覆るんですよね。腹を空かせた狼が子豚を襲うのは必然(緊急避難)であり、家族や仲間のためにより多くの獲物を得ようと必死になり、たとえ下で火が焚かれているにしても煙突に飛び込まなければならなかった可能性もあるわけで。また、そんな狼の心情を子豚が知っていたのだとしたら、自分を囮にして狼を死地へと誘い込む事は可能なわけです。
こういう、色んな人間や立場へ感情移入する事。一つではなく、複数の視点を持って考える事はとても大切です。
上記の記事ではあくまで自分の意見を元に議論させたようで、もちろんそれはそれでとても面白いわけなのですが、私は一番良い思考トレーニングというのは、自分の意見を自分で徹底的に否定する事だと考えます。
 自分が「これは正しい!」と思う事について、完膚なきまでに叩き潰す論理(他者に納得という錯覚を及ぼすだけの理屈。屁理屈でも構わない)を考える事です。更に言うと、そんな否定意見を更に自分で否定し(元の論理を肯定し)、更にそれを否定する。そうして、延々と問いを続けて行く事。これこそが人間に求められる能力だと考えます。
 これは決して自己批判に繋がるものではありません。自分の意見を批判するという事は、自分の意見を批判する人間を理解する事であり、何より、その中で自分の好きなものを見つける行為です。
 例えば私は何度も明言している通り「ハッピーエンド至上主義者」なわけですが、それがこの世の絶対的論理であるとは思いません。ハッピーエンドじゃなくとも面白い話ってのはいくらでもあるわけです。
 ただ、私はそれが好きなんです。幾つもの論理や理屈や視点の中で、それが一番気に入っている。ただそれだけの話です。


こういう思考法って結構大切なんじゃないかなぁって思う今日この頃なのでした♪




ところで、今更気づいたけど……この日記って、長文を読ませるタイプじゃないなぁ(汗
すっげぇ読みにくい……。
なんか、工夫とか必要かな???